宮崎八郎がルソーの思想を教えた

明治8年4月26日、変則熊本第五番中学として熊本民権党の宮崎八郎らが中心となり、設立。ルソーの『民約論』(中江兆民訳)をテキストにして自由民権教育を行っていました。しかし熊本県との反目により、わずか半年で閉校しました。